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神戸地方裁判所 昭和48年(行ウ)11号 判決

原告 蚋鐘完 ほか一名

被告 法務大臣 ほか一名

訴訟代理人 麻田正勝 風見幸信 国見清太 ほか二名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告神戸入国管理事務所主任審査官が昭和四八年四月二三日付で原告らに対してなした退去強制令書発付処分はこれを取消す。

2  被告法務大臣が同年三月二〇日付で原告らに対してなした原告らの出入国管理令四九条一項に基づく異議の申出を棄却する旨の裁決はこれを取消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの経歴及び来日するに至つた経緯

(一) 原告蚋鐘完(以下「鐘完」という)は、昭和二七年一一月二二日に、原告蚋鐘哲(以下、「鐘哲」という)は同三〇年八月一日に、いずれも、大阪市大淀区で出生した。

原告らの母訴外李丹衡の父は戦前、長崎に炭鉱の徴用工として連れてこられたものであるが、日本において生活基盤を築くや、当時二、三才であつた李丹衡を家族と共に日本に呼びよせた。右李丹衡の父は、炭鉱において朝鮮人としては相当高い地位に就き、徴用募集のため何度か朝鮮に行かされたりしたが、そのために日本の敗戦後は日本に協力したとされて帰国できなくなり、日本に住みつき昭和四〇年頃失意のうちに死亡した。原告らの父訴外蚋興基(以下、「興基」という)も徴用として日本に来たもので、戦時中は大阪市都島区内の軍需関係工場の下請け工場で働き、戦後は、自動車関係の仕事をしていたもので、韓国にいる同人の本妻訴外李殷錯を含む家族は戦前まで日本にいたが、戦火を逃れて南朝鮮に疎開して、そのまま居ついたものである。原告らは出生後、昭和四四年ころまで日本において成長し、鐘完は徳島県の中学校を卒業し、鐘哲は高松の中学校を中退するまで、日本の学校において日本の言語、風俗習慣を学んだものである。

(二) 昭和四三年一〇一五日、原告らは興基に連れられて帰国したが、これは別居中であつた母、李丹衡に何ら連絡なく行われた。当時、一五才、一三才であつた原告らには将来を決定的に左右する永住帰国の判断能力はなかつたものであり、かような場合に母親の意思を全く無視したのは、日本政府当局が在日朝鮮人に対する正当な理解を欠いていたためである。

帰国後、原告らはソウル市内の義母李殷鋳のもとで義兄弟らと同居したが、原告らが朝鮮の風俗習慣になじめず、義兄らとの間に紛争が絶えなかつた等のことから、間もなく、興基と共に別居するに至つた。朝鮮語を十分に話せず、風俗習慣について知識のない原告らにとつて南朝鮮での生活は苦難の連続であつて、鐘完は朝鮮語が殆んど話せないために上級学校進学を断念させられ、定職とは程遠いガイドのアルバイトをして収入を得なければならず、鐘哲も高等学校へ進学はしたが、父死亡後、義兄らの反対によつて中退を余儀なくされた。原告らの父興基は昭和四五年一一月に死亡し、以後は義兄らとの関係は悪化の一途をたどり、原告らは南朝鮮での生活に絶望し、長年住み慣れ母親及び親類縁者の殆んどが在留し、また知人、友人のいる日本に帰ることを夢みるようになつた。

義兄らの援助を受けることができなくなつた原告らは、やむを得ず、田舎にいる父方の伯父のもとで、同人の経営する農業の手伝いをするようになつたが、母李丹衡が原告らに訪れて以後は、ますます日本へ帰る決意を固めるに至り、義母に相談したが、適法な手続による入国方法は見つからず、唯一の方法が密入国なので、昭和四七年一二月一五日、貨物船マリーナ号により日本へ密入国したが、その動機は、同じ苦労をするなら長年住み慣れた日本で一生を過ごし、母を助けて真面目に働きたいというところにあつた。

2  本件退去強制令書発付処分がなされるまでの経緯

原告らは前記密入国行為によつて、右同日頃から神戸入国管理事務所において取調べを受け、昭和四八年一月一二日、同所入国審査官から出入国管理令(以下「令」という)二四条一号に該当するとの認定を受けたので、同日、口頭審理を請求し、同所特別審理官は同月二四日、右認定に誤りがない旨の判定をした。右判定に対し原告らは、同日、法務大臣に対し異議の申出をしたが、法務大臣は、同年三月二〇日、右異議申出は理由がない旨の裁決をなし、同所主任審査官に通知したので、同人は、同年四月三〇日、原告らに対し送還先を韓国とする本件退去強制令書を発付し、原告らは、現在、大村入国者収容所に収容されている。

3  本件各処分の違法性〈省略〉

4  本件各処分には裁量権の逸脱ないし濫用がある。〈省略〉

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張 〈省略〉

第三証拠〈省略〉

理由

一  原告らがその主張のように日本に密入国し、主張のような経過で本件裁決がなされ、これに基づき本件退去強制令書が発付されたことはいずれも当事者間に争いがない。

右事実によれば原告らは有効な旅券または乗員手帖を所持しないで本邦に入つたものとして、本邦からの退去を強制されるものに当るといわなければならない(令第二四条一号、第三条。)

二  原告らは、日本と朝鮮との間には、日本が武力によつて朝鮮を支配し、日本に朝鮮人民を連行し炭鉱等で働かせ第二次大戦に協力させたなどの、その主張にかかる特殊な歴史的関係があり、かような関係にある在日朝鮮人、韓国人を強制退去させるに当つては憲法上、国際法上、条理法上の配慮が特に要請されるのみならず、原告らの如き特別事情あるものの在留を許可しないのは国際道義に反し、また、世界人権宣言、国際人権規約、国際赤十字の第一九回国際会議で採択された「離散家族再会に関する決議」等に照らしても、国際慣習法に反し、ひいては憲法九八条二項に違反すると主張するので判断する。日本と韓国との間には原告ら主張のような歴史的関係のあつたことは当事者間に争いのないところである。ところで〈証拠省略〉によると、日本と朝鮮との戦前からの特別な関係に基づいて「日本国に居住する大韓民国々民の法的地位および待遇に関する協定」または「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和二七年法律第一二六号)により、終戦以前より引つづいて日本国に居住している大韓民国々民またはそれ以外の朝鮮人について一般外国人と区別し、引きつづいて在留することが認められているが、その他の不法入国した者を強制退去させることを違法とする意識はいまだ国際社会に成立しておらず、在日朝鮮人、韓国人の在留に関して、少なくとも不法滞在者に関する限り、特別の保護を与えるべき国際法規範は存在しないことが認められる。また、原告ら主張の国際規約、決議等は直接に日本を拘東する国際法規ではなく、少なくとも非合法の外国人滞在者に関して、その追放を制約すべき国際慣習法も存在しないことが認められるので、原告らの主張はその余を判断するまでもなく失当である。

三  次に、原告らは被告法務大臣が本件裁決をするに当つては原告らの在留を特別に許可すべきであつたのにこれをせず原告らの異議申出を棄却した本件裁決には裁量権の逸脱ないし濫用の違法があり、ひいてこれを先行行為としてなされた被告主任審査官の本件退去強制令書発付処分にも同様の違法があると主張するところ、被告らは異議申出の理由の有無についての判断としてなされる裁決と令五〇条所定の在留特別許可の判断とは別個の処分であり、在留特別許可を与えなかつたことの違法を主張して本件裁決の取消しを求めることはできないと主張するので先ずこの点について判断する。法務大臣の裁決は第一次的には「特別審理官によつて誤りがないと判定されたことによつて維持された令二四条各号の一に該当するとの入国審査官の認定」の当否(令四七条ないし四九条)の審査をし、これによつて裁決すべきものであるが、令五〇条によれば、右異議申出に対する裁決に当つて、法務大臣は在留特別許可の判断をなし得るものとされており、異議を棄却する裁決は、原処分を相当とするとの判断の他に右在留特別許可をすべき場合にも該当しないとして右許可を付与しない旨の処分としての性質をも併有するものというべきである(裁決主文では、単に、異議申出を棄却する旨を宣言するに止まる)。従つて、法務大臣が在留を特別に許可しなかつたことにつき何らかの違法が認められる場合には、右許可を与えることなく異議申出を棄却した裁決も違法性を帯び、取消しを免れないと解される。

つぎに、在留特別許可を与えるか否かの判断は、令五〇条の規定形式、他に右許可を付与するに際しての要件等を定めた規定が在しないことから、法務大臣の行政上の考慮等からする広範な自由裁量に属するものと解されるが、それは全く無制約ではなく、著しく人道もしくは正義の観念に反するといつた例外的な場合には裁量権の逸脱、濫用があつだものとしてその結果なされる異議の裁決は違法となると考えられる。しかして、令四九条五項によると異議の申出を棄却する法務大臣の裁決があつた時は、主任審査官はすみやかに退去強制令書を発付せねばならず、主任審査官はこれにつき裁量の自由を有しないと考えられるから、法務大臣の右裁決の違法は、これに基づく右令書発付処分にも当然に承維されるものと解される。

四  そこで、本件につき検討する。

原告らがその主張の日時、場所において文興基、母李丹衡の長男、次男として出生し、鐘完が中学校を卒業し、鐘哲が中学校を中退するまで日本の学校において教育を受けたこと、原告らが文興基に連れられてその主張の日に韓国に帰国したこと、韓国には興基の本妻およびその間の子がいること、興基が、昭和四五年頃死亡したこと、原告らは、現在大村入国者収容所に収容されていることはいずれも当事者間に争がいない。

前記当事者間に争いのない事実と〈証拠省略〉によると、原告らは、いずれも韓国慶尚南道密陽郡府北面春化里一七四に本籍を有するもので、出生後父母に連れられて岡山市、京都市、徳島県麻植郡山川町などに移転し、右山川町において、鐘完は中学校を、鐘哲は小学校をそれぞれ卒業し、昭和四三年、原告らは父母とともに高松市に移住し、同年四月、鐘完は高松経理専門学校へ、鐘哲は同市内の中学校へ、それぞれ、進学した。ところで、前記のとおり韓国に興基の本妻(以下、「本妻」もしくは「義母」という)及び、その間にもうけた子供(以下、「義兄ら」という)がおり、加えて興基の性格が独裁的で妻子に暴力を振うなどのことから、李丹衡との間に風波の絶え間がなかつたところ、興基が韓国に残した子供を結婚させるために、原告らを連れて帰国すると言い出したことから両者の不和が一層激しくなり、李丹衡は憤慨して大阪市内に居住する妹の許に一時身を寄せるに至り、その間、興基は李丹衡に何ら連絡することなく、原告ら(当時一五才及び一三才)及び同人らの実弟鐘和(当時一〇才)を連れ、前記のとおり韓国に帰国した(そのため、原告らは前記高校及び中学校を中退することを余儀なくされた)。帰国後、原告らは興基とともにソウル市内の義母のもとで義兄らと共に生活したが、日本と韓国の風習の違いもあり、原告らと義母、義兄との仲は円満を欠き、原告ら及び興基は、まもなく、市内に別居するに至つた。原告らは帰国後一年程経た頃から漸く、韓国語の会話にも不自由しなくなり、鐘完は日本語の家庭教師や日本人観光客の案内などをして収入を得、鐘哲は、昭和四四年九月、市内の中学校に入学し、昭和四七年、同校を卒業して、高等学校に進学した。ところが、興基死亡後は原告らと義母、義兄らとの間はますます冷たいものとなつていき、鐘完が義兄の一人といざこざを起こしたことから、原告らは昭和四七年四月頃、(鐘哲は前記高校を中退して)本籍地の父方の伯父の許に身を寄せて同人の営む農業の手伝いをするようになつた。その間、原告らは実母李丹衡の住む日本で生活したいとの希望を次第に強く抱くようになり、昭和四七年一〇月頃、李丹衡が来韓して義母を交えて日本への渡航問題について話し合つたこともあるが、韓国には徴兵制度が施行され、右兵役終了後でなければ渡航許可が困難で、正式の手続きを経て日本に入国することは容易でなかつだため、密入国を企て、鐘和を義母の許に残し前記のとおり密航し、神戸港に入港したが官憲に発見された。原告らは、今後、日本に居住し、大阪府摂津市居住の自動車修理販売業を経営する叔父の許で働くことを望んでいる。因に、日本には実母李丹衡のほか母方の親族が多数居住しており、韓国には義母、義兄らのほか本籍地に父方の伯父が居住している。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

五  右認定事実によると、原告らは長期にわたつて日本で生活し(一五才及び一三才に至るまで)、日本の学校で教育を受けてきたもので韓国への帰国は殆んど文興基の意思によるものであつて、帰国当初は言語、習慣等の相異により生活上何かと苦労も多かつたであろうし、特に、興基死亡後は義母、義兄らにやつかい者扱いされていた事情も窺えるが、帰国後、約四年間を経過し、韓国語の日常会話にも不自由がなく、鐘完は日本語の家庭教師、日本人旅行客の案内の職歴を有し、鐘哲は高等学校に進学し、密入国に至る半年程は伯父方の農業手伝いをするなど韓国での生活に順応しつつあつて自国での生活にも慣れ、生活能力もついてきたものとみることができる。このようにみてくると密航前までは原告らの生活の本拠は韓国にあるといわざるを得ない。なお、義母や義兄らとの関係はいわば家庭の事情にすぎず、それが韓国での原告らの生活を全く不能にするものとは認められず、現に、鐘和は義母のもとで生活しているのである。もつとも実母と共に日本で暮したいという原告らの気持も無理からぬものがあるが、法に反してまで母と同居せねばお互にその生活が破壊される等の特段の事情あるものとは認められない。適法な入国手続を経て互いに訪問する途も開かれているのである(現に、、李丹衡は昭和四七年に原告らを訪問している)

右の如き事情下においては、原告らの在留を特別に許可しなかつた被告法務大臣の措置をもつて裁量権の範囲を逸脱し、もしくはこれを濫用した違法があつたものとはいえない。

六  従つて、原告らの在留を特別に許可せず異議申出を棄却した本件裁決及びこれに基づき被告主任審査官がした本件退去強制令書発付処分はいずれも違法ではないことになる。

七  よつて原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中村捷三 武田多喜子 赤西芳文)

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